個の時代と言われながらも、どこに行っても、何をしていても、人付合いを断って生活することは難しい。
自分に合う人のみを選び、苦手な人を避けていたら・・・どうなっていくのでしょうか?
ちょっと混乱しそうな話ですが、
本当は「苦手な人」という人がいることが事実ではなく、苦手と感じる私がいるということが本当の事実。
本当に「苦手な人」という人が事実ならば、100人いたら100人が苦手な人と感じなくてはいけない。
感じているのは間違いなく自分自身。
苦手と感じることを良いとか悪いという話ではなく、そんな自分を客観視、観ていくことは、自分を知る上でとても大切。案外、自分のことって知らないことが多い。
ああ、私は、こういう考えを持っている人が苦手なんだ・・・とか。
また、
自分の世界に浸かっている人との会話は、一方通行でこちらからの質問で終わってしまうことが多い。
自分から話題を提供できない、会話を生み出せないのは、コミュニケーションを円滑にとる上では致命的。
質問されることが当たり前の人すら見受けられる。他人にそこまで興味を持つ人は本来いないのに・・・。
どうせ誰か(他人)と関わっていくのであれば、
人付合いが苦手、興味がないという前に、自分から積極的に声を掛ける、自分から話題を振ってみることは大切。
その積み上げが、人を知り、他人と距離感を学び、そして自分を知ることに繋がるのかもしれません。
人との距離感を知らないが故に、場所と時を選ばずに、変な言葉遣いになってしまったり、何を話して良いかわからないとか、噛み合わないという現象が起こってしまう。
私の周囲にいる、
遊びがうまい人(良い意味での遊び上手な人)を見ていると、人との距離感がうまく、話題が豊富で会話をしていても飽きることがありません。
つまり、それは相手を飽きさせないように気を配っているとも言えるのではないでしょうか(ナチュラルな人もいますが)。気配りができる人間の周囲には自然と人が集まってくる、楽しい雰囲気が漂っています。
もちろん、私もそんな(良い意味での)遊びがうまい人を目指しています!